オペレッタを通しての日本・ハンガリー文化交流(その2、最終)

I、ハンガリーとウィーン・オペレッタとの違い
ウイーン・オぺレッタは、1、にも、2、にも、3、にも音楽で、4番目にようやく芝居が来る。ハンガリーのオペレッタは、1、が音楽なら、2、は芝居と、演劇性に富んでいる。動きは生き生きとし、バイタリティーにあふれ、踊りはレビューのように、欠かせなく、衣装や装置は、ハンガリー色豊かな色彩感にあふれ、楽しさを幾重にも、重ねていく。それは、ハンガリーの民族性、マジャール人気質といってよく、独創的で、なぜか日本人の感覚にも、ぴったりと合っている。

II、レハールとカールマーンの違い
カールマーンの音楽は、日本人に、ごく自然にわかるのだが、レハールの音楽は、その解釈で、どうしても西欧の壁にぶつかってしまう。そのカギの一つとして、レハールには、ドイツ系の血が混じっていることが分り、カールマーンは、純粋にハンガリー人であることを知った。マジャール人と日本人は、いずれもお尻に青い蒙古班がある。この感覚は、同じ、血のなせる業かと解釈した。

III、ブダスト・オペレッタ劇場関係者の主な日本公演
1,1996年、及び1997年、レハールの「メリー・ウイドウ」、2,1998年、「メリー・ウイドウ」、及びカールマーンの「チャールダーシュの女王」、3,1999年、カールマーンの「伯爵家令嬢マリツア」を上演。

IV、日本オぺレッタ協会関係者による日本での主な公演
1、(1)1981年日比谷の第一生命ホール(東京)で、カールマーンの「伯爵家令嬢マリツア」をノーカットで、日本初公演。(2)1986年西麻布のオペレッタ・ホール(東京)で、レハールの「ルクセンブルグ伯爵、(3)ブダぺト・オペレッタ劇場指揮者のヴァーラーディ・カタリン女史(日本オペレッタ管弦楽団のゲスト指揮者)による『微笑みの国(1998年、2002年、2007年)、「ルクセンブルグ伯爵」(2009年)、(4)1990年中劇場、1992年大劇場で、『微笑みの国」、(5)1998年、レハール没後50周年に際し、ブダペスト指揮者コンクールで優勝した井崎正浩を招き、日本オぺレッタ協会のホーム・グラウンドの北とぴあさくらホールで、「微笑みの国」を上演。
2,2002年10月13日、北とぴあさくらホールで、「微笑みの国」が上演され、天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)が、ご鑑賞された。同じ年の2002年7月には、天皇皇后両陛下は、ハンガリーをご訪問され、ハンガリー国民の日本熱は、急速に高まった。

V、日本オぺレッタ協会関係者のハンガリー公演
1,1998年、ブダペスト・オペレッタ劇場で、海外初の公演として、日本文化の「顔」を持つ「微笑みの国」を上演し、大成功を収めた。その理由につき、寺崎氏は、「交流史」の中で、次の様に述べている。「レハールの母国、オペレッタの本場のハンガリーで、当協会の”微笑みの国”が激賞されたのは、ウィンナ・オペレッタ115年の歴史をしっかりと受け継ぎ、日本の伝統芸術の歌舞伎を隠し味に、オペレッタと歌舞伎の東西音楽劇を融合した日本文化の顔を持った日本ならではのオペレッタだからである」。
2,2002年、ブダペスト・オペレッタ劇場、セゲド、ペーチの両国立劇場で、「微笑みの国」を上演、大成功を収めた.マードル・フェレンツ・ハンガリー大統領(当時)からは、「ハンガリー公演を評価する」とのメッセージが、日本オぺレッタ協会に送られた。(了)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント