ハンガリーの著名な作曲家レハールの喜歌劇「微笑みの国」が、8月23日、NHK/BSテレビで放送されました。

昨年7月11日に、オーストリアのメルビュッシュ湖上音楽祭で、ハンガリー出身の著名な作曲家フランツ・レハール(1870年ー1948年)の傑作の喜歌劇「微笑みの国」(全3幕)が、上演されました。その公演が、8月23日の深夜、NHK/BSテレビ3の番組「プレミシアター」で、3時間にわたり、放送されました。本稿では、公演の感想を除き、インターネットのWikipedeaの情報を引用して、レハール、メルビュッシュ湖上音楽祭、「微笑みの国」のあらすじ、ハンガリーと著名な作曲家のハイドン、ベート-べン、及びグスタフ・マーラーとのエピソード、及び日本におけるハンガリーの喜歌劇の公演等について、記述します。

1、レハールは、オーストリア・ハンガリー帝国で生まれ、オーストリア、ドイツを中心に、ウィンナ・オペレッタの分野で活躍。著名な喜歌劇「メリー・ウイドウ」やワルツ「金と銀」も、レハールの作品です。

2、メルビッシュ湖上音楽祭は、ハンガリーの国境に近いウイーン郊外の街メルビッシュで、毎年開催される著名な国際的な音楽祭です。音楽祭では、毎日、喜歌劇が上演されます。

3、「微笑の国」のあらすじは、次の通りです。「時と場所は、オーストリア・ハンガリー帝国当時のウイーンと、中国の北京。スー・チョン殿下(ウイーン駐在の中国の高級外交官)は、リヒテンフェルス伯爵の令嬢のリーザと、愛し合う仲になります。二人は、結婚し、北京に行きますが、スー・チョン殿下は、中国の首相に任命されます。当時の中国の習慣では、首相は、4人の女性と結婚しなければなりません。それを知ったリーザは怒り、ウイーンにもどります」。他方、スー・チョン殿下の役は中国出身の歌手と思われますが、殿下の部下として、日本の歌手奥川洋一が出演していました。

4、本公演は、歌あり、バレーあり、武闘あり、サーカスの芸人も登場する等、まず、規模の大きさに圧倒されました。さすが、国際的に著名は音楽祭だと思いました。これは、悲恋の物語ですが、スー・チョン殿下とリーザの間で交わされる数々の著名な美しいアリアにも、魅了されました。また、「微笑みの国」は、オーストリア・ハンガリー帝国の華やかを感じる象徴的な喜歌劇だとも思いました。オーストリアは、夏のザルツブルグ音楽祭、冬のウイーンでのニューイヤーコンサートでも有名ですが、「微笑みの国」を見終わって、「文化の力」と「音楽の力」を改めて感じたしだいです。なお、この公演はドイツ語ですが、ハンガリーでは、ハンガリー語で、ブダペストの劇場等で、上演されています。「微笑みの国」は、ハンガリーでは、A Mosoly Orszaga(ア・モショイ・オルサーガ)です。

5、ハンガリーとオーストリア、ドイツの著名な作曲家との関係のエピソードとしては、ハンガリーの貴族で、大地主のエステルハージ家は、オーストリア国境の近くにある宮殿に、ハイドンを宮廷楽師として、雇い、コンサートを行いました。次に、オーストリアで活躍したグスターフ・マーラーは、一時期ブダペストの
王立劇場で、音楽監督をつとめました。また、ブダペストの郊外のマルトン・ワーシャールには、ベートーベン博物館があります。かって、同地に居住したハンガリーの貴族の姉妹の令嬢に、ベートーベンの弟子が、住み込みで、ピアノを教えたよしみがあるからだそうです。べートーべンも、短期間同地に滞在した由です。

6、最後に、日本での日本人の出演者によるハンガリーのオペレッタの公演です。「日本オペレッタ協会」のホームページ等によりますと、ハンガリー出身の著名な作曲家カールマーンの「チャールダーシュの女王」は、日本でも、上演されました。

8月20日のハンガリー建国記念日に、ハンガリーのデブレツェン市で、フラワー・カーニバルが、開催されました。

8月20日は、ハンガリーの建国記念日です。毎年この日にブダペストに次ぐ第2の都市のデブレツェンで、フラワー・フェスティバルが開催されています。今年も開催されましたが、コロナウィルスの感染の影響で、例年より規模は、縮小されたそうです。このフェスティバルのハイライトは、デブレツェン市の大通りを牽引されている台車に搭載の花から作った王冠です。その写真は、https://haon.hu/kultura/helyi-kultra/elindult-a-viragkarneval-ezuttal-egy-kicsit-maskepp-4285118/及びhttps://haon.hu/galeria/megerkeztek-debrecen-foterere-a-viragkocsik/を検索下さい。

秋田県鹿角(かずの)市で、「ハンガリー交流展」が開催されました。

1、鹿角市とハンガリーのショプロン市は、姉妹都市ですが、8月1日より8月14日まで、「鹿角市文化の杜交流館コモッセ」で、「ハンガリー交流展」が、開催されました。両市は、2年おきに、相互に公式訪問団を派遣する等、交流を行っています。また、鹿角市は、東京オリンピック・パラリンピックのバスケットボールのホストタウンに、なっています。

2、「ハンガリー交流展」は、ハンガリーから国際交流員として、鹿角市に派遣されているダンコー・アンドレアさんが、企画して、実現しました。「日本ドナウフォトクラブ」(日本ハンガリー友好協会サークル会員で構成、会長は、同協会の田崎龍一理事)は、同展示会にハンガリーの写真を展示しました。展示会での写真や、両市の交流につきましては、鹿角市のホームページをご参照ください。

「手洗いの重要性を指摘した」19世紀のハンガリー出身のセンメルべイス医師が、NHK・BSテレビの「コロナ」関係の番組で、紹介されました。

I、7月28日、NHK・BSテレビ・プレミアムの番組「ダークサイド」で、表題のテーマが、放送されました。番組では、オーストリアの医師センメルべイス・イグナーツ((Semmelweis Iganac,1818年ハンガリーで生誕、1865年オーストリアで死去)となっています。ウイーンの大学で、医学を学び、ウイーンの病院で勤務する等生涯をオーストリアで、過ごしたためです。番組の内容は、本稿では、ネットのウィキぺディアを引用していますが、概要は、次の通りです。

1、センメルべイスは、消毒法の先駆者として知られ、「母親たちの救い主」とも呼ばれる。19世紀中ごろには、産褥熱の発生数が多く、産婦の死亡率も高かった。特にウイーン総合病院第一産科は、一般的な助産師による出産と比べ、死亡率が、3倍も高くなっていた。第一産科では、死体を解剖した医師が手を洗わず、出産にあたっていた。
2、ここに勤務していたセンメルべイスは、産褥熱の発生数を調査し、1847年、産科医が、次亜塩素酸カルシウムで、手を消毒することで、劇的に産婦の死亡率を下げることが出来ることを発見し、「産褥熱の病理、概要と予防法」と題した本を出版した。
3、センベルべイスは、手洗い法が死亡率を1パーセント未満まで下げられる科学的証拠を数多く示した。しかし、この方法は、当時の医学界には、受け入れられなかった。

II、他方、ネットのウィキぺディアによりますと、2018年12月20日付の「日医ニュース」は、「センメルべイス生誕200周年にあたり、東京渋谷の日本赤十字社医療センターに、センメルべイスの胸像が設置されることになり、2018年11月14日に、皇后陛下(現上皇后)のご臨席の下に、除幕式が行なわれた」旨の記事が掲載されています。同記事の概要は、次の通りです。

1、当時は細菌の存在も知れなかった時代で、センメルべィスの支持者は少なかった。後に「母親たちの救世主」とあがめられ、ハンガリー人の誇る人物となって、今ではブダペストの広場に,胸像が立ち、記念館も開設されている。
2,2018年は生誕200年にあたり、ハンガリー政府の肝いりで、日本でも、センメルべイス生誕200周年顕彰事業実行委員会が発足し、事業の一つとして、胸像が設置された。
3、日本赤十字医療センターは、古くからあった産院と病院が合併して、つくられたもので、現在でも、年間3000例と、東京都では最大数のお産を扱っており、産褥熱の防止に貢献したセンメルべイスの胸像の設置場所として、選ばれたと思われる。